友だちのお勧めでこのアニメ映画を見た。
雨が絶えずに降る、今日の夜に。
王さんにお礼のメッセージを送って、残る思いをここに書こうと思った。
王さんへのメッセージに書いたように、この作品の何かが私の中の何かと強く響きあうの。
雪野さんのことを考えてみれば、やっぱら視聴者は彼女について、文学先生であることと、いじめに当たって壊れそうになったことしか、ほとんど何も知らない。私は勝手に乞う思うけど、もしかしたら雪野先生も、前に強く生きてたのかな?いい先生になるように頑張ってきたのではないかな?文学が好きで、好きなものを職業にしたくて。頑張っている優しい彼女にはあの不意にとられて、生徒たちに裏切られた時はどんなにつらかったのだろう。全力なのに、そんなお返しなのか、とむなしい思いをするようになったのではないのかな。これからどうやって、どこへ・・・
「15歳の私と全く変わらない。同じ場所にいる」と彼女は言った。もしかして、そのとき、高校生のとき、このようにいじめられて、とても戸惑っていたかもしれない。でもあのときなんとか乗り越えて、もっと強くなったと思いきや、そうじゃなかったと思い知らされたのではないかな。
あの男の子は高校生で、一般的に見れば子供のわりに、しっかりしている。そのような人に出会うと、心の成長は、体や社会的なの成長と一致しない人がいると自覚する。強く生きている魂、その時体や社会制度は束縛のようなものになってしまう。
魂を強く輝かせたもう一人の人のことは思い浮かべる。病気的な弱弱しい体をよそに、自分の判断に頼り、何を言われようと、自分の意志をつらぬいて見せた。最後に、自分の過ちに気がつく始末になったが・・・こんなに強く自分の命を燃えさせたことだげがいかに憧れに当たることなのか。正しいか、正しくないか、客観的な立場から色々言える。でもそもそもなにが正しいのか?人の置かれた状況を考えれば、彼の目で物事を見てみれば、彼の世界の取り方、それによる決心も理解できる。
みんな、自分だけの唯一な道を歩む。それは間違っているかどうか大事じゃない。大事なのは、その選択の背景にどんな気持ち、どんな意図があったかのことだ。
この映画の男の子も自分の行く方向を選び、土を踏み、道を作ろうとしている。
そのような人に出会うと、あなたは自分の導く光を失って、さ迷っても、その人の強い意志がまた、精一杯生きる光を胸に灯してくれる。
すばらしい映画だった。王さんに感謝してやまない。
そんな友だちが出来て、どんなにうらしいものか!