小さい太陽に似てる紫苑と名づけた花は灰色の昼の明かりに光っていた。
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体も心も花と一緒に早く直っていった。
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霧に覆われた道を家へ向かって歩いている朝視は寒い風にはもう気が引かれなくなった。考えに耽っていったのだった。
もし私はNo. 6の住民だったら、幸せに生きることができたのだろうか。
本の出版を制限する都市。想像や判断力を禁ずる場所。エリートに選ばれたら、ロポットと同様に数字とデータをばっかり頭に突っ込んでいた。心が動かない、なぜなら心は育っていないからだ。
カランさんが話していたお年寄りのおばさんの言葉も頭に浮かべる。「明日何をしていいか分からないの、なにをしたいかが分からない」彼女の目は空ろだった。その目はエアコントロールされた心地いい、豊かな家具を誇った部屋を不愉快な寒さで満たしたかのような、カランさんには気がした。
可愛そうなおばさん。市民たち。
心では幸せや不幸を感じるものでしょう。心がなければ、麻痺していれば、満足したからだには何もない。空っぽな感覚こそを絶望というのだろう。
私は想像を動かさないと、生きられない。強い自我を持っている。物語に学ぶことを大事にする。ロボットみたいに教育の仕事をするのは嫌がってる。ものを作ることを楽しむ。
その私はNo. 6で住んでいたとしたら、紫苑に同じく嵐が来た日に窓を開け放して、わけもなく叫んでいたに違いない。
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私は住んでいる世界はいい。理想な都市などはいらない。
必死に生きたい。
自分の幸せを、ちゃんと、政府の責任にまわさないで、自分の手で作っりあげたい。
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西ブロックの人々はかわいそう。
必死に生きているが、いつこの命が終わるか、明日の自信がないままいきる。飢えて、寒さに耐えて、病気を治す仕方がなくて、それでも必死に、恐ろしくであったり、喜ばしくであったりする周りを見て、自分なりに判断して、自分の心を育てている。数字に無知、教育を受けていない。だが命のことを比べ物にならないくらいもっと知っている。
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私は恵まれている環境にいるね、と朝視は感じる。
二つの世界の間にいる。
自分の命を、自分で握れる分、自分の手に握ってるのだから。明日が来る希望、判断の自由、心の自由、私なりの幸せを探し求める責任が、私にはある。