Асами
朝視は実家に帰っていた。
前の一週間とこの祭りの休みが4日並ぶ一週間も、永い眠りから目を覚ましたように新鮮で敏感で味わっていた。
先週、毎日なにか学ぶような気がしていた。
お祝いの連続休みの前の一週
***
次の一週間が始まり、また居眠りに落ちることなく生き生き通っている。
月曜日は、日本語の授業で受験生はアンケートを記入していたとき、「私たちのことを信じていますか7」と聞いて、「当たり前ですよ」と朝視は答えた。「信じていなかったら、試験のことをわざわざ知らせ足りはしなかったのかもしれません」子供たちは信じてもらうことがどんなに必要とされているかは自覚させた言葉だった。
火曜日は、またUPIとの授業で第1話を読み終わり、まだ続きを読みたいと言ってもらった。だが、休みの4日の間読むとしたら、プリントアウトが必要らしい。そして、外国旅行へ行くから、明日に限ってプリントアウトができるそうだ。ということで、朝視は4つの授業の後と言うこともかまわず、夜3時過ぎまで改作していた。それから、頭を洗い、4時ごろやっと寝た。驚いたことに、2時間眠っただけで、起きは難しくなかった。そして、やりがいのある仕事で夜更かししたという思いは心を支えていた。

水曜日は、上級のグループとの授業に10分遅刻してしまって、気を悪くしたことを見せなかった学生たちと長い休みを前にして別れた。初級のグループから優しい言葉とチョコレートスイーツをいただき(中級と中上級にもスイーツと黄色い太陽に似た黄色い菊の花をいただいた)、事務所でケーキの一切れにご馳走していただいた。
列車に乗って、No. 6を読み続けたが、途中頭は重く感じ始めて、眠ったほうがよかったと判断した。浅い眠り柄目を覚ましたとき隣に座っている同い年のような女の子はパソコンをかばんから取り出し、映画を見始めた。朝視はその役者、その場面、すぐにその映画の見覚えがあると認識した。「ピアニスト」だった。隣の子は見るとともに、つらい思いが心のそこから沸きあがろうとしていくと感じた。携帯の記入スペースに「とても悲しい映画ですけど」とタイピングして、隣の子の肩に優しく触れて、見せた。彼女はヘッドホンを外して、「見たの?」と聞く。肯定的に答え、明日はお祝いですし、浮かない気分じゃ台無しのじゃないかと、説明してみた。そこで隣の子は決めたようにヘッドホンをひざに置き、「あなたは、私たちが隣人だと分かってるの?」と言い出す。「え?」まったく知らない顔なのに、どこの隣人?と朝視は黙り込んで、子の目を見ながら思い巡らす。ホメリへ帰る途中。ホメリのはず。そのとき隣の子は「Елена Николаевна先生はいつもあなたとお姉さんのことを話しに持ち出していたよ」と促しているように言った。
結局住宅は一緒で、中学校も一緒だったらしい。英語の先生も。
道則の残りの1時間話で過ごした。以外で楽しかった。その子も私と話しを楽しんでいたとしたら嬉しいと、少し疑問を抱えて朝視は思った。
水曜日、3月8日。結論から言うと、素敵なお祝いの日だった。
朝にプレゼントの贈り合い、
おばあちゃんのお世話(また不意な発作を起こすことに近かった)
母ちゃんは市場から戻ってくると、こっち市場に行き、友達のプレゼント、母ちゃんへの花を選び買った。お祝い言葉をしばしばもらい、気分は明るくなった。
昼ごはんを粗末に食べ、レギーナと会いに行った。カフェーで3時間以上話し続き、時間が経つことをさっぱり忘れていた。本の話、世界の問題の話、哲学の話、そこにお互いの生活の話・・・
夜は羽生選手との取材を訳し始めた。
この一日に少し目だった出来事があった。朝視はレギーナのところへ向かっていて、積もった雪にまあ踏み固められた狭い道の前で戸惑って止まった。通り抜けるか?遠回りをするべきか?通りがかりの男の人は通り過ぎたところだったが、戻り、「なんで止まりますか。行くんです!」と、先に狭い道に踏み込んだ。
問題なく通り抜けた。その言葉は心に残って、笑顔にさせた。朝視も笑みを見たある住宅の入り口に立っている二人の若者は「笑ってるな」とあざ笑うような声でコメントし、笑顔をそっちにむけて、「3月8日をおめでとう」と代わりに聞いた。考え直してくれたのかな?朝視の笑みはもっと広く、もっと明るくなった。
優しい祝日だった。

前の一週間とこの祭りの休みが4日並ぶ一週間も、永い眠りから目を覚ましたように新鮮で敏感で味わっていた。
先週、毎日なにか学ぶような気がしていた。
お祝いの連続休みの前の一週
***
次の一週間が始まり、また居眠りに落ちることなく生き生き通っている。
月曜日は、日本語の授業で受験生はアンケートを記入していたとき、「私たちのことを信じていますか7」と聞いて、「当たり前ですよ」と朝視は答えた。「信じていなかったら、試験のことをわざわざ知らせ足りはしなかったのかもしれません」子供たちは信じてもらうことがどんなに必要とされているかは自覚させた言葉だった。
火曜日は、またUPIとの授業で第1話を読み終わり、まだ続きを読みたいと言ってもらった。だが、休みの4日の間読むとしたら、プリントアウトが必要らしい。そして、外国旅行へ行くから、明日に限ってプリントアウトができるそうだ。ということで、朝視は4つの授業の後と言うこともかまわず、夜3時過ぎまで改作していた。それから、頭を洗い、4時ごろやっと寝た。驚いたことに、2時間眠っただけで、起きは難しくなかった。そして、やりがいのある仕事で夜更かししたという思いは心を支えていた。

水曜日は、上級のグループとの授業に10分遅刻してしまって、気を悪くしたことを見せなかった学生たちと長い休みを前にして別れた。初級のグループから優しい言葉とチョコレートスイーツをいただき(中級と中上級にもスイーツと黄色い太陽に似た黄色い菊の花をいただいた)、事務所でケーキの一切れにご馳走していただいた。
列車に乗って、No. 6を読み続けたが、途中頭は重く感じ始めて、眠ったほうがよかったと判断した。浅い眠り柄目を覚ましたとき隣に座っている同い年のような女の子はパソコンをかばんから取り出し、映画を見始めた。朝視はその役者、その場面、すぐにその映画の見覚えがあると認識した。「ピアニスト」だった。隣の子は見るとともに、つらい思いが心のそこから沸きあがろうとしていくと感じた。携帯の記入スペースに「とても悲しい映画ですけど」とタイピングして、隣の子の肩に優しく触れて、見せた。彼女はヘッドホンを外して、「見たの?」と聞く。肯定的に答え、明日はお祝いですし、浮かない気分じゃ台無しのじゃないかと、説明してみた。そこで隣の子は決めたようにヘッドホンをひざに置き、「あなたは、私たちが隣人だと分かってるの?」と言い出す。「え?」まったく知らない顔なのに、どこの隣人?と朝視は黙り込んで、子の目を見ながら思い巡らす。ホメリへ帰る途中。ホメリのはず。そのとき隣の子は「Елена Николаевна先生はいつもあなたとお姉さんのことを話しに持ち出していたよ」と促しているように言った。
結局住宅は一緒で、中学校も一緒だったらしい。英語の先生も。
道則の残りの1時間話で過ごした。以外で楽しかった。その子も私と話しを楽しんでいたとしたら嬉しいと、少し疑問を抱えて朝視は思った。
水曜日、3月8日。結論から言うと、素敵なお祝いの日だった。
朝にプレゼントの贈り合い、
おばあちゃんのお世話(また不意な発作を起こすことに近かった)
母ちゃんは市場から戻ってくると、こっち市場に行き、友達のプレゼント、母ちゃんへの花を選び買った。お祝い言葉をしばしばもらい、気分は明るくなった。
昼ごはんを粗末に食べ、レギーナと会いに行った。カフェーで3時間以上話し続き、時間が経つことをさっぱり忘れていた。本の話、世界の問題の話、哲学の話、そこにお互いの生活の話・・・
夜は羽生選手との取材を訳し始めた。
この一日に少し目だった出来事があった。朝視はレギーナのところへ向かっていて、積もった雪にまあ踏み固められた狭い道の前で戸惑って止まった。通り抜けるか?遠回りをするべきか?通りがかりの男の人は通り過ぎたところだったが、戻り、「なんで止まりますか。行くんです!」と、先に狭い道に踏み込んだ。
問題なく通り抜けた。その言葉は心に残って、笑顔にさせた。朝視も笑みを見たある住宅の入り口に立っている二人の若者は「笑ってるな」とあざ笑うような声でコメントし、笑顔をそっちにむけて、「3月8日をおめでとう」と代わりに聞いた。考え直してくれたのかな?朝視の笑みはもっと広く、もっと明るくなった。
優しい祝日だった。
